倉敷市・総社市・岡山市にお住まいの方をサポートします
はあとふる法務事務所

岡山県倉敷市阿知2丁目12‐22 K1ビル3F北
☎ 086-441-3930
トップページ 事務所へのアクセス 事務所概要 業務内容 料金一覧表 お問い合わせ

業務内容

相続の手続
遺言書作成
成年後見の相談 
離婚・夫婦の問題
入国管理手続き
障がい・高齢者相談
リンク
コラムのページにようこそ

行政書士 はあとふる法務事務所 所長の瓜生浩輔です
平成23年10月3日更新しました!!

はあとふる法務事務所のホームページへようこそおいで下さいました。

このページでは,私が自身の経験の中で,ふれたもの,見たもの,感じたもの等の思いをつれづれに書き記したページです。

私自身の思いをつづることで,当事務所への理解を深めていただければ幸いです。
  「親亡き後の障がい者の自立について(NEW!)

そもそも,人は一人で生きていくことのできない存在です。誰しも,多くのかかわりの中で「生かされている」のが現実ではないでしょうか?

自立と考えるときに「誰の助けも借りない,一人で生きていくこと」と考えてしまうと,思考停止してしまいます。人間は人との関わり,人と助け合いながら,生きていくもので,その関わり具合の「濃い」「薄い」があるにすぎないと思います。

それを前提にして,自立を考えてみましょう。経済的な部分などではなく,自身の行動という面で考えてみましょう。昨日,何をしたか考えてみると,仕事,遊び,ゴロゴロなどいろいろな行動をそれぞれがしていたと思います。それは人にさせられているのではなく,自分でしたいからしていたわけです。

その「行動の選択の自由」これが自立というのではないでしょうか?選択には責任も伴います。つまり,選択するには自律も必要となってきます。

さて,ここに箱に入ったケーキがあるとします。中身は違うけれど,箱は同じ。どちらを選びますか?(「わからいから選べない」との返事あり)そうですね。中身がわからなければ,選びようがない。それでは箱から出してみましょう。すると,箱から出てきたのは,見たこともないケーキでした。さあ,どちらを選びますか?(「どうでもいい」「もういらん」との返事あり)そうですね。わからないですものね。

わからないのに,「どっち?どっち?」と言われれば,「もういらんわぁ」と言ってしまいたくなります。つまり,選ぶためには体験と経験が必要なんですね。それがないのに,選べ選べってったって選びようがないわけです。

そうなってくると,自立するためには,それ以前の体験やら経験やらが必要となります。

続いて,親亡き後について考えましょう。親はいつまで,そして何をするのでしょう。

子どもは小さいうちは親の手のひらの上で安全を確保されながら生きています。しかし,いつしか,自分の世界をどんどん広げ,親の手のひらからあふれ出し,そして,親の知らない世界の方が,知っている世界よりも広くなっていくものです。

親は子供の全体的な保護・管理者であるわけですが,子どもの成長に伴い,彼を支援する多くの人たちの中の一人になっていくわけです。これは障がいのあるなしに関わりません。親にとって支援者の一人となってしまうのは大変つらい経験でしょうが,それを乗り越えなければ,子どもお自立を阻害しかねません。

つまり,親亡き後を考えるのではなく,今,自分の支援している部分を減らし,変わってくれる人を探していくことをしなければならないのです。

…話の一部を紹介しました…


「メルトスルー:今こそ力を合わせて!

圧力容器を破壊した核燃料は,格納容器も破壊し,外部へ流出している可能性があるとのことです。

こうなってくると,これは国内の問題だけではなく,といっても,すでに国内の問題ではないのは明らかですが…,早い対応をしていかなければ,国際的信頼も大きく失ってしまうと思います。

いまこそ,日本の知恵を集結して放射能と闘わなければならない時でしょう。原子力を否定しようとしまいと,現実は動いているわけですから,これを何とかしなければなりません。

しかし,政治は大連立に二の足を踏んでいます。どうしてなのかわかりません。新聞の記事では相手の出方を伺うとか,自らの党が埋没するとか…。これでは,たとえ大連立を組んだところで足並みはそろわず,結局前に進まないことになりかねません。

ただ,本当にこれではいけないと思われている議員さんもおられるようです。多くのしがらみの中で,志をお持ちの方がその思いを行動に移せない状態もあるのではないでしょうか?

そして,先頭に立った時,この非常に難解で困難な状態に立ち向かい,結局非難の嵐に投げ込まれることもあるかもしれません。

誰がそこに足を踏み入れるのか?

力を合わせるときは,今です。争っている場合ではありません。

「相手を下げることでは自分を上げられない

今日は国会で論戦が行われていました。何とも言えない論戦で,本当に国政が停滞している様子が見て取れるようでした。

「不信任案の提出について,被災者から否定的な意見があることも承知しているが,しかし,出さざるを得ない状況を作ったのは政府だ!」

というようなことが言われていたと思います。でも,出したのは自分たちだし,その責任を誰かに転嫁するのは少し違うかもと思いました。

そのようなやり取りを聞いていて,思いました。

自分が優位に立つために,相手の非をついて,相手を貶めることができたとしても,それによって,優位に立てたとしても,自身が向上したわけではないと。

議論においても,非をつき,責任を追及して相手を落してみたところで,建設的な議論となるかといえば,疑問です。

ただ,答える側も,その都度その都度のいい繕いのような答えでは,さらに建設どころか破壊的な議論になってしまいます。

胸を張ってきちんと答えることで,相手に下げられようとしても,自身を上げていくことができると思います。

相手を下げるのではなく,自身の向上を常に考えること。これは大切なことだと思います。私自身,常に心がけているところです。


「虐待の防止について」

虐待による事件が後を絶たない状況が続いています。親族による高齢者虐待,親による子どもの虐待,施設等での虐待,ほとんど毎日のようにニュースが流れています。

先日,岡山市でも虐待の疑いにより16歳の高校生が亡くなりました。

気になるのは,例えば,老老介護等での介護疲れの中で引き起こされた殺人などで,一方的に加害者が非難されるのではなく,同情される面もあるということです。

もちろん,大変な状況の中での介護は想像を絶するものであると思われます。しかし,人を殺める行為はほんの少しでも「しょうがないか…」と思ってはならないと思います。

加害者が同情されることで,自分も社会的被害者であったとの意識が芽生えるかもしれません。そしてその芽生えは,起こしてしまった加害者の人でなく,現時点で介護等に追われている人の心に植えつけられることもあるでしょう。

今回の岡山市の事件では,本人の自傷行為をやめさせるために手足を縛ったという供述があったと新聞で報道されていました。しつけのために暴力を振るったという点もあったと思います。

誰でも,そのような行為が容認されるとは思っていないでしょう。しかし,自分の能力値を越えた現実が目の前にある時,「力ずく」な行為に走ってしまうもの現実でしょう。これを「しょうがない…」「いけないことだけど,気持ちはわからないでもない」と同情的に容認してしまうと,虐待は亡くならないと思われます。

個人等の対応でのその能力値を超えた場合には,やはり,社会がそれを支えていくほかはないのではないでしょうか?

役所は「事件が起こらないと動いてくれない」と言われることもあったようですが,現在は迅速に動く体制があるのではないのですか?事前相談,予防的措置を専門家がきちんと対応し,アドバイスできるような体制を一刻も早く作ってほしいと思います。

必要なのは加害者に対する罰ではく,救済的措置だと思われます。


「君が代起立命令の「合憲」判決で思うこと」

今回の判決についてよく言われていることは「思想・良心の自由」の制約について出と思います。思想の自由は内なる部分では完全なる自由であってこれを誰かが制約することは違憲である前に,非常に困難であると思われます。

そして,「思想・良心の自由」はその内面にとどめ置く場合については何ら制約なく認められる自由と考えられます。

しかし,それが外部へ表出される場合,それは場合によって何らなの制約を受けることになります。

誰かを好きになり,その気持ちが心全体に広がっていても,それはその人の自由の範囲でしょう。しかし,その思いが高じてストーカーまがいの態度として表出されると,これは相手への影響も考えて,制約せざるを得ない場面が出てきます。

それでは今回の起立命令がそういった制約せざるを得ない場面であるかどうかが問われると思われます。最近はこういった内容の条例が大阪府で提案されているとも聞きます。

私自身は,公務員は様々な思想に対して中立的な立場を表出すべきではないかと考えています。

かといって過度にその立場をかたくなに守らせようとするのはどうかとも思われます。

そういった両面から考えて,今回は学校という教育現場で行われる表出活動はこの場合制約が必要かということです。

私が親として,自分の子どもの担任の先生だけ,かたくなにそのような態度をとっていたとしたら,「この場面でここまでの態度をとるということはかなり,思想的に偏っておられる。担任の先生として心配だなぁ」と素直に思うと思われます。

一方で,そのような態度を全然見せないまま,例えば,違う保護者から,「あの人はご自身の経験や思いなんかで,君が代には反対されていて,いろいろと仲間内で勉強されて,国等にも意見を出しているらしいよ。でも,この場において自分を出すのは間違いだから,自分の中で区別されて行動されているらしいよ」と聞くと,頑張っておられるんだなぁと素直に思うと思われます。

教育者である前に思想をもった個人であることは理解できます。しかし,教育の場においては教育者として子どもに与える影響を考えて行動してほしいと思いました。




「障がいのある人にとって暮すことの大変さ」

今まで,私は障がいのある人やその家族の方々と出会いながら,その障がいそのものと向き合っていくことの大変さをつくづく感じさせられてきました。

障がいの状態が重度になると「生きる」といった命そのものについて常につきつけられながら生活していかねばならないこともあります。

「子どもが生まれた時,野原を駆け回り,ブランコを元気に漕いで,またある時は遊園地でメリーゴーランドに乗る。そんな夢を描いていましたが,うちの子は難しいようです」

と言われていた母親の言葉がありました。その子は呼吸器管理されていて,外出自体が難しい様子でした。

「この子にも野原の空気を吸わせてやりたい,遊園地のにぎやかな雰囲気を味あわせたい」

そう思う一方で,感染したらどうしよう。急激な環境に変化に体がついていかなければ,今後の体調管理が非常に困難になる可能性もある。

願いと現実のはざまで,常に悩みと向き合わなければいけないのです。

しかし,それだけではありません。

先日,こんなことがありました。

重症の障がいのある方の車椅子作成をしようとした時のことです。車椅子の助成を受けるためには更生相談所の診断が必要です。

この診断は本人が更生相談所に行くのが困難な場合,訪問しての診断も可能となっています。

この方は車椅子乗車は可能ですが,座る姿勢を確保するための筋力が弱いため20分程度継続して車椅子に乗ることが難しい状況です。そこで,安定して座れる車椅子を作ろうとしているわけです。

そこで,現在入所している施設に,その旨を伝えたところ

「うちでは呼吸器管理をしている人以外は訪問を利用しないことになっていますので,相談所に行って下さい」

とのことです。来所か訪問かを決めるのは医師の意見書によって更生相談所が決めることになっています。施設がそんなことに口をはさむのは理解できませんでした。

「医師が判断することでしょう?」

そう言うと

「このくらいの人の状態で意見書を書くと,うちに医師が更生相談所から悪く思われる可能性がある」

とのことでした。更生相談所までは30分はかかります。そして,そこでも40分以上は診断等に時間を要するとのことです。

その人は施設の行事(2時間程度の)にも20分程度しか参加できません。それ以上の時間,車椅子に乗っての参加が難しいからです。しかし,早くとも2時間近くかかるかもしれない,その診断には行きなさいとのこと。それは,施設が更生相談所から指摘されるかもしれないのでそれが嫌だから。

どこを向いているのでしょう?

まだまだ,バリアの多い社会の中で,生きていくのは大変です。それなのに,一番近くにいるはずの施設の方がさらに無理を押しつけてくる。理解のない環境の中では暮らすことだけでも大変です。

「終活コンサルタントとしての活動」

先日地元の障害者団体の方の成年後見制度についての勉強会に講師として招かれました。

成年後見制度の概要をまずお話ししましたが,皆さんが興味を持ったのは,実際に後見人としての仕事はどんなことをするのか?どんな手続きが必要なのかといった実務的な面でした。

さらに,どんな時に役に立つのか,メリットは何なのか?そういったことにも興味を示されたようでした。

また,相続や遺言と,成年後見制度の関わりなども質問された方がおられました。

成年後見制度を利用すると,遺言書は書けないの?利用しなければ書けるの?といった現実的な質問でした。

後見人がついた場合,相続にどのように影響するのかなどもありました。

現在,終活コンサルタントとして活動している私にとって,一般的なニーズを伺うことができた非常に有意義な勉強会となりました。

日常で生活していると「成年後見」「遺言」「相続」はそれぞれ独立的に発生するものではなく,それらが複雑に絡み合っていることの方が多いと思われます。

そこを支援していくのが終活コンサルタントの役目であるとつくづく考えさせられました。


「後見人は誰の代わり?」

先日,後見人は誰の代わりなのか疑問に思う出来事があったので書いてみようと思いました。
とある施設で被後見人の車椅子を新調しようとしました。その旨を施設の方に話すと,

「保護者の許可はありますか?」

との質問を受けました。成年被後見人の保護者とはいったい誰?という疑問も少なからずあるのですが,成年被後見人がまだ成年となって数年で,私が後見人になるまでは親が後見人の代わりをしていたため,保護者と言うのは親のことだとは簡単に推測できました。

ただ,その許可が必要かと言われるととても疑問です。

先ほど少し触れましたが,後見人が必要となった場合に,後見人をつけるのが順当な対応と言えます。何らかの理由で付けない場合,今の例のように親が「後見人の代わり」をすることはあるかもしれませんが,望ましい形ではないので,速やかに誰かを後見人とすることが望まれます。

上の例でいけば,もう後見人がついているので,誰かの許可を得る必要なないはずなのです。

「何か勘違いをしている」

私はそう思いました。きっと成年後見人は「親の代わり」という認識ではないかと思いました。親の代わりなので,手続きをする際には親の許可が必要と思ったのでしょう。

大きな勘違いですね。親が「後見人の代わり」をすることが(法的にではなく)事実的にあったとしても,後見人が「親の代わり」となること(すること)は法的にも事実的にもありえません。

では後見人は誰の代わりなのか?

それは本人の代わりです。当たり前なのですが,例えば重い障がいのある人の場合,未成年の間からずっと親がその子に代わって様々なことを行ってきています。成年になっても,自らが後見人になるとしても,ならない間も,本人に代わって様々なことを行います。本人を取り巻く環境もその状況を慣習的に当たり前とらえてきています。

その状況で第三者が後見人になると,本人の代わりである後見人が親の代わりとなってしまうのではないかと思われます。

上の例でいえば,後見人がもし意思を確認するとすれば,それは本人に対してでしょう。しかし,それは後見人の行為としてではなく,善意的な活動として本人の意思を確認することになるでしょう。つまり,後見人であれば,誰の意思ではなく後見人自身の意思で,この活動が本人の利益となるかどうかを判断して行わなければなりません。

後見人は親族等の代わりではなく本人の代わりです。しかし,たまには親族の顔色をうかがい,本人の利益を見失いがちな後見人がいるとも聞きます。そういったことがないように重い責任をしっかり意識し,本人の利益を常に考えて自信を持って取り組めるようにしなければいけません。

「希望を信じて

目の前に広がる荒野と化した親しみのある土地

心の中は希望の見えない真っ暗な渦が渦巻いている

空を見てみた

太陽の光がまぶしく目に入ってくる

春のおとずれ。

まだ肌寒い空気の中で

きらめく太陽が優しくそう語っているように見えた。

よく見ると

荒野の中に小さな緑が芽吹いている

よく耳を澄ますと

子どもたちの透き通る笑い声が聞こえてくる

そう

私たちは多くのものを失った

でも,失っていないもの 失ってはいけないものがある

希望の光

真っ暗と思っていた心に光がまだあることを

小さな芽や子どもたちの声が教えてくれた。

その光を大きくするものは勇気

無邪気な子どもたちの笑顔が,もう泣き顔に変わらないように

勇気を持って立ち上がろう

私たちが失ったと思っていた希望

決して失っていない希望を信じて



「自分の生活がほしい最終回」

「自分の生活がほしい」の最終回です。

今回は,いよいよ最終回です。

携帯電話での一般社会の人とのやり取りを通じて自信をつけたAさんは次のステップへ挑戦することにしました。

中古の本屋へ本を売る。

これが次のテーマでした。

簡単に思われるかもしれませんが,本を売るためには身分証明書が必要です。施設にいると自分の保険証さえ職員が管理してので,身分を証明するものがありません。

ないのではなく,あるにはあるのですが,Aさんはそれを使うのを嫌がっていたのです。本を売ることが難しいのではなく,使いたくない身分証を使う気持ちになれないのでした。

その身分証明書は「療育手帳(知的障がいの人が持つ障害者手帳)」でした。
それを提示すれば,自分が障がい者として見られてしまう。馬鹿にされてしまう。そう思うとAさんは療育手帳を提示する勇気が持てませんでした。

しかし,自分の考えを変える決心をしたAさんはそれの気持ちをのりこえようと決めたのです。

Aさんはこう言いました。

「相手が馬鹿にすると思っていたら何もできない。こちらがきちんとすれば手帳があっても馬鹿にされるはずがない」

そして,次の日Aさんから喜びの声を聴くことができました。

「本が売れたよ。びっくりするくらい安かったから,ちょっとムカついた」

ムカついたわりには,嬉しそうな響きのある声でAさんは話してくれました。

外部の人との接触はほとんど人任せ,職員任せにしてきたAさん。でも,同世代のBさんからもらった「気にしないよ」という一声でぱっと心に光がさし,勇気がわいてきました。

できないのではなく,あきらめていただけだった。Aさんはそれに気付き,ほんの小さい,そしてとても大きい一歩を踏み出すことができました。

社会へ出れば,現実の壁に涙することもまだまだ多くあるでしょう。社会は弱者に対してまだまだ優しさが足りません。

くじける数だけ大きくなれるよ。

これからはそう言ってAさんを励ましていきたいと思っています。


「自分の生活がほしい6」

「自分の生活がほしい」の第6回目です。

携帯電話の調子がおかしい。
Aさんが言いました。

どうも,メールを打とうとすると勝手に再起動されるようです。

施設外の人とのメールのやり取りは,Aさんにとって施設外の空気を吸うシュノーケルのようなもの。そのメールを通じて施設の外の世界の空気を吸って,自分の気持ちを間接的に解放させていました。

そういう意味でAさんにとって,メールは外界と自分をつなげる命綱のようなものだったのです。これは決して大げさではありません。

そのメールの調子が悪いのです。Aさんはとたんに不安でいっぱいになってしまいました。

今までのAさんであれば,ケアホームの職員に頼んで修理してもらう道を選んでいたでしょう。職員はAさんにとってメールの重要性等気づいていないので,いずれ修理に出すといって,しばらく放置される可能性もあります。修理に出されるまでに早くて1週間,ひどければもっとかかる恐れもあります。

その間,Aさんはもんもんとした,窒息しそうな生活を強いられることになります。ストレスが身体症状にでるAさんですから,頭痛や腹痛,過呼吸など,不安な気持ちだけでなく,そういった身体症状に悩まされる日が続きことになります。

その日は,どういった時に再起動になるのか具体的に聞き,それに対する対処のみを伝えるだけにしました。職員を介さずに手早く解決するにはどうするか?頭を悩ませました。

次の日,明るい声でAさんから連絡が入りました。

「携帯の無料サービスに電話したら,わかりやすく説明してくれたよ。修理が必要になるかもしれないから,店に持っていく方がいいって言ってくれた。何を見せの人に行ったらいいかも教えてくれたから今度の休みにお店に行ってみる」

私は驚きました。以前のAさんなら自分で解決できない問題として悶々とするしかなかったはずです。

「すごいね。よくそこまでできたね」

感心すると,Aさんが言いました。

「どうせダメだって思うことを止めるって決めたから。今度も実は無料サービスに電話するときドキドキしてダメだって思ったけど,Bからきた気にしないよってメールを見て,力をもらって頑張ったよ。自分のことだから自分でできるところはやってみようって思ったよ」

「うんうん」

私はジーンとしました。ほんの些細な一言がすごい力をAさんに与えた。言葉って友だちってすごいなあと感心しきりです。

「お店に行ってきちんと言えるの?」

それでも心配になって私は聞きました。

「お店に行く時,くじけそうになったら,またこのメールを見て頑張るから大丈夫だと思う。まあ,やってみないとわからないけど,やってみないとできるかどうかも分からないからね」

そしてAさんは次の休みにお店に行き,修理の手続きを自分で済ませ,相手の対応にやや不満を感じながらもひとりで行えました。

友だちを作りたい。でも,どうせなってくれない。

こういった心の葛藤を続け,それを乗り越えたAさん。そして,自分の内側にできてしまっていた壁を感じ,それを壊そうと努力したAさん。

乗り越えた先,そして,壁の向こうには友だち以上のものを自分に与えてくれた何かがあったようです。

もうひとつのエピソードがあります。

それは次回,いよいよ最終回です

「自分の生活がほしい5」

「自分の生活がほしい」の第5弾目です。

とうとうメールでBさんに伝えました。そんなに長い文章ではありません。しかし,Aさんは1時間以上かけて,不安な気持ちと闘いながら,メールを打ちました。悪い予感で涙が勝手にあふれてきます。

でも伝えなければ,本当のつながりはできない。

短い文章の中に,Aさんの熱い気持ちがたくさん入ったメールがBさんに届いたようでした。

返事はすぐに来たのです。

メールを見るのが怖い。

しかし,Aさんは勇気を持ってBさんからのメールを見ました。

返事は,とても短い文章でした。

「そんなこと気にしなくていいよ。Bも気にしないから」

Aさんの目から涙があふれてきました。とても短くて,ライトな文章です。でも,だからこそ,その中に本当が見えました。

着飾らない言葉。友だちだから,言い合える言葉。

「やったー」

Aさんは泣きながら,大喜びです。

まだ,友だちとして,付き合い始めるのはこれからですが,Aさんにとって,とても素晴らしいスタートになったのです。

そして,その翌日,心を落ち着けたAさんは,すごく大人びた様子で語り始めました。

「自分に障がいがあるから,他の人は友だちになってくれないと思っていた。どうせ,だめだって,Aががんばってもわかってくれないって,ずっと思ってた。でも,わかってないのは自分もだと思った。どうせわかってくれないって他の人から壁を作っていたのは自分かもしれない」

そしてこう続けました。

「どうせだめだって,あきらめるのをやめる!やめられるようにがんばる」

このセリフから,Aさんに少しずつ変化が見られ始めました。

次回に続く・・・



「自分の生活がほしい4」

「自分の生活がほしい」の第4弾目です。

Bさんに伝える決心はついたものの,実際に伝える行動に出ることはなかなかできませんでした。

メールを使って知らせることも決めました。しかし,文章が浮かばない。伝えたい内容ははっきりしているのに,どう伝えたらいいのか,言葉が出てこないのです。

Aさんは独り言のように呟きました。

「ずっと施設で生活してきたから,施設の外の人とどうやって付き合ったらいいのか分からない。でも,こういう生活もこういう自分も嫌だから,思いきって,施設の生活をしていない同世代の人と友だちになって,いろいろなことを知りたい。おしゃれの話や買い物の話とかいっぱいしてみたい。障がいがあっても普通に遊びたい」

Aさんが言った言葉の中に私を驚かせるものがありました。「障がい」という言葉です。Aさんは自分に障がいがあることを認めたくないため,自分に障がいがあるといった言葉はほとんど使っていませんでした。

「障がいがあっても普通に遊びたい」

この言葉はAさんが心の中の何かを乗り越えようとしている響きだったのかもしれません。

「思ったことを伝えてみれば?」

Aさんがつぶやいた言葉でじゅうぶんに気持ちは相手に伝わるのではないかと思い,私はそう言いました。

「でも…」

Aさんはこう続けました。

「全部伝えたら,きっとBさんは離れていく。そうなるにきまっているから伝えるのが怖い。自分(A)が他の人と違うことをBさんが知ったら,Bさんは離れていくと思う。だから怖くて伝えられない」

「じゃあ,伝えなければ…」

そう言いかけて,私は言葉を飲み込みました。

Aさんは伝えたくないのではない。伝えたい,伝えなくてはいけない。そう思っているから,悩んでいるんだ。

伝えても大丈夫。そういった勇気を与えるのが私の役割なのです。

「離れていくかどうかは,わからないと思うよ」

なぜ,そんなに離れていくと決めつけるように思いこんでいるのかを知りたくて,私はそう言いました。

「施設に入って,親も離れていった。友だちも離れていった。みんな離れていくんだよ」

Aさんの悲しい体験が「離れていく」といった気持ちの裏付けになっているようでした。

「それでも,中学校までは楽しかったよ」

Aさんは続けます。

「小学校も中学校も普通の中学校だった。施設から学校に行ったら,親学級(本人は障害児学級)のみんなは普通に接してくれたし,行事も一緒に楽しんだ。でも,高校に行くとき,自分は養護学校しか行けないから,療育手帳を持たなければいけないって言われた。それから,施設でも学校でも普通でないような生活でとても嫌だった。みんなと離されているようで嫌だった。心から楽しいと思える思い出が作れなかった。もうそんなの嫌だから,中学校の時みたいにいろんな人と仲良くしたい」

Aさんが,ここまで,自分の思いを打ち明けてくれたのは初めてでした。また,やや内向きな性格のAさんがここまで思いを話せると思いませんでした。

私はAさんに言いました。

「その思いを伝えたら大丈夫。すごい感動したよ。Aさんの気持ちは絶対に伝わるよ」

それから二人で今までの気持ちをどう伝えるか話し合いをしました。

そして,Aさんの思いを乗せたメールはBさんのところへ飛び立ちました。

続きは次回に・・・


「自分の生活がほしい3]

「自分の生活がほしい」の第3弾目です。

Aさんは何を気にしているのか?聞いてみるとAさんは次のように話し始めました。
「自分と友だちになったばっかりに,Bさんが友だちからいじめられるのではないか?自分と友だちになることはBさんにとって迷惑になるのではないか?」

どうしてこのような気持ちがAさんの中に起こったのか?私はどうしてそう思うのか聞いてみました。
「前に友だちができた時に,療育手帳(知的障がい者の手帳)を見せたら,急によそよそしい態度に変わって,それからは普通に話せなくなった。」

また,
「障がい者とはあまり付き合わないほうがいいと思っている人が多い」
そうも話しました。

私は
「あまり付き合わない方がいいって誰かに言われたの?」
そう聞きました。

「ただ何となくそう感じるし,誰かに言われたかもしれない」
Aさんはそう答えました。

実際に誰かにそう言われたのかはわかりませんが,Aさんが周囲の視線をそう感じるようになっていったのは事実です。

Aさんは物心つくかつかないかの時から施設に預けれて,そこで生活しています。その生活はAさんがそう感じるようにならざるを得ないものだったのかもしれません。

「自分が障がい者と言わなければいいんじゃないの?」
私は解決にもならない,アドバイスをしてしまいました。

「みんなが当たり前にできる計算や漢字の読み方なんかが,自分にとって難しい。普通に会話してても,あれ?っていう顔をされることがある。だから,障がいがあることはいずれわかること。その時に気まずい思いをするくらいなら初めから打ち明けていたほうがいい」
Aさんはそう言いました。

そして,こう付け加えました。
「自分のことを話をしても友だちになってくれる人じゃないと,友だちを続けられることはできないと思う」

友だちを作るという,ある意味自然発生的な活動と思っていました。友だちは自然にできるもの。そう思っていました。しかし,Aさんは,それ以前の段階でここまで悩まなければならないのです。

差別は今,はっきりと存在しているのです。

「Bさんに打ち明けるの?」
私は聞きました。

「打ち明けなければいけない。そう思う」
Aさんはそう答えました。

そして,AさんはBさんに伝えることを決心します。

続きは次回に・・・

「自分の生活がほしい2」

「自分の生活がほしい」の第2弾目です。

前回も触れました。知的がい害のある人がどのような場面で気持ちが変化していったのかを書いてみます。

以前,この人からの相談で次のような出来事がありました。

同じ年齢の健常者(便宜上この言葉を使用します)とメール交換をしていたのですが,急に相手の親からもうメール交換はやめてほしいと言われたそうです。

相手はいろいろな事情を並べていたようですが,実際に自分の子どもが,障がいのある人,さらに施設のようなところに入所していると付き合うのを好ましく思わない人もいます。

相談をしてきた人(今後はAさんとします)はいろいろと言われたと言っていましたが,自分自身がひょっとして避けられているのではないかと感じる部分もあったようです。

そのような,以前の出来事があったので,私はAさんにもっと施設・グループホーム以外の人と付き合ってほしい,また同世代の友だちを紹介してあげたいと思い,知り合いのAさんと同世代の健常者を紹介することにしました。

私は相手(今後はBさんとします)の了解をとり,AさんにBさんのメールアドレスを教えてあげました。直接会えればいいのですが,グループホーム以外の人と話等をしていると,グループホームの職員の中にはそれを快く思わない人がいるらしいので,メール交換から始めることにしたのです。

しかし,メール交換を始めるとAさんは意外な点を気にし始め,メールを打つことが怖くなってしまうのです。

続きは次回に・・・

「自分の生活がほしい」

「自分の生活がほしい」

前回も触れました。知的がい害のある人の生活についてです。

現在,障がい者の相談も行っています。相談業務といっても単に話を聞いた上でアドバイスしたり,福祉の紹介をしたりするのではありません。

基本的にはカウンセリングをしながら,自立心を一緒にはぐくんでいこうとする取り組みです。自立には自律の意味も含んでいます。

その中で,いわゆるグループホームで生活している人の話です。成人になっても,早すぎる門限(夕方には集合),もちろん,飲みに行く等しようものなら,行かないように説得させられる状態です。

門限を破ろうものなら,ひどく注意され,重なると「追い出してやるぞ」と脅される始末だそうです。どこも,そんな状況ではないと思いますし,この話がどれだけ真実なのかはわかりません。しかし,事実かどうかは重要なことではありません。

カウンセリングには事実よりもその人がどう感じ,受け止めているかのほうが大事だからです。

いい大人になって要るにもかかわらず,過剰な管理状態に身を置かねばならない。そんな状況についてどう感じているのか聞きました。一部わかりやすくまとめて,そのやり取りを紹介します。

「しょうがない」

これが第一声です。

「自分たちはずっと施設で生活してきた。施設の外の生活がどうなのかよくわからないし,それを望んでもどうせ無理。グループホームは四六時中監視されていないだけ施設よりもましだけど,遠い外出にはヘルパーをつけろと言われるし,ちょっとした外出でも外出の許可が必要。自由がないのには変わりない。いやだけど,しょうがない」

そう言います。

嫌なら嫌となぜ言わないのか?そう聞きたいのですが,会話の中でそう言った小石を投げると相手の心に波紋が広がり,自由に話そうとしていた気持ちに動揺が生まれ,素直な気持ちを引き出せなくなるのでぐっと我慢します。

「施設は自由がなくて嫌だったんだね。グループホームになって少しはましになったけど,まだ自由がなくて嫌な気持ちなんだね」

私はそう言って,さらに話をしてくれるように仕向けて行きました。

「何で自分は自由がないの?何で,毎日嫌な思いをしなければいけないの?」

悲痛な叫びです。どう答えたらいいのか?

「自由がないので,不満でいっぱい?」

私は叫びに対して,質問で答えるのが精いっぱいでした。

「そうだよ,不満でいっぱいだよ」

「そこから出たいと思う?」

こう聞いてみました。

「無理だと思うけど,できたらいいな」

ただ,ずっと施設で生活してきた人には一人暮らしの術は教えてもらえる機会がないのが現実です。かなりの決断をしなければ難しいのが現状です。

そんな中,上記の人がある出来事をきっかけにグループホームをでて普通にアパートで暮らそうと思い立つことがありました。

それについては次回に紹介します。

「生きると生かされる」について

「生かされる」

この言葉は東洋哲学や宗教を学んでいると出てくる言葉でもあります。語弊を恐れずごく簡単にいえば,人は大きな意思(宗教的)や自然の計らい(哲学的)で生かされているというものです。

今回のコラムでの「生かされる」はこのような意味ではなく,人の手によって「生かされる」といった意味合いです。

ある知的障害施設に住んでいる利用者から「何で,自分たちには自由がないのだろう」との声を聞きました。

施設側からすれば,判断能力の劣る障害者を自由にすることでどんな被害を受けるか,また与えるかわからないからある程度の規制をかける必要があるのでしょう。

しかし,ある意味「そうなんですね」と聞いてしまいがちな施設側の意見ですが,一方で本人たちはそれに感謝するどころか,自由がないと不満を感じています。

施設側の意図が十分に利用者に伝わってないとも言えます。いや,施設側の意図を利用者が理解する必要はないと考えているのかもしれません。

利用者は判断能力が劣るからです。判断能力が劣るから,施設の中で,施設が責任を問われないようにするための規則も含めて,法律以上の一定の決まりを課せられた中での生活を強いられる。

「ここが嫌なら出ていけばいい」そう言われた利用者もいるそうです。一定の規制の中で生活することに慣らされてしまった利用者は,不満はあっても自分の生活力には大きな不安を抱えています。

「出ていけるのなら出ていきたい」大きな声でそう答えたかったそうです。しかし言えない。

施設から与えられた選択肢の中から選び,施設の決めた規制の中で生活する。その中での自分の自由は非常に限られたものとなっている。

「生かされる」状態なのではないでしょうか?この状態を自主的な「生きる」生活と言えるのでしょうか?

また,別のところで重度の障害者施設の利用者の親から聞いた話では「死なないですむ生活」ができているとの話を聞いたこともあります。「生かされる」よりもショッキングな台詞です。

成年後見人はこういった「判断能力の不十分な」方々の判断能力を支援していく必要があります。

その支援の中で本人の「生きる」を常に考えながら,本人の言葉,それ以外でもあらゆる本人からの発信に耳や気持ちを傾けながら取り組んでいかねばと考えさせられました。

「気の持ちよう」について

嫌なことが起こると,ブルーになってしまいます。失敗するとめげそうになってしまいます。

失敗が重なると,何かしようとするときその失敗が心の中のブレーキとなって,消極的な気分が心の中に蔓延します。

そんなことありませんか?日常のほんの小さな出来事から,自分の将来を決める重要な出来事まで,「決める」「行動する」という行為は常にしていかねばなりません。

逆にうまいことが重なると,次もうまくいくような気がすることもありますよね。

「決める」「行動する」という行為は,その時の自分の気持ちに大きく左右されてしまいがちですね。その時の自分の気持ちは,過去の自分の体験とその時の思いの積み重ねです。

思いをどう積み重ねていくか?これは非常に重要な点であると思います。起こった出来事を人生の一こまとして連続したものとしてとらえるのか?その出来事を,その都度,その都度の完結型としてとらえるのか?それらによっても思いの積み重ねられ方は変わってきます。

その都度の完結型ととらえると,何らかの失敗は失敗で終わりです。心の中はブルーなまま。

連続したものとしてとらえると,「失敗は成功のもと」と昔から言われるように現時点の失敗も未来の成功の種となっているかもしれないと考える余地ができてきます。

逆に,完結型としてとらえることで,失敗を引きずらないと言えるかもしれません。この場合,気持ちの切り替えという要素が必要となりますね。

例えば,あることを実行しようとするとき,その行為が自分にとって難易度の中程度の行為とします。

それ以前に何らかのことで失敗して自信を失っているまま,その行為に向き合った時に中程度のはずの難易度がなぜか高い難易度の行為に見えてしまものです。

こういう場合は過去の失敗を忘れ,気持ちを切り替えれば中程度の難易度の行為として向き合うことができます。

さらに,何らかの成功体験があって,自信がある時はその中程度難易度の行為が簡単な行為に思えることもあります。

自分が何らかの行動を起こすときの動機付けとなる要素は最後の成功体験の場合でしょう。

しかし,よく考えると中程度の難易度の行為自体は変わらないわけで,それに向かう自分の気持ちがそれを困難にしたり簡単にしたりするのです。

失敗は成功のもととして,自分の糧とし,気持ちは切り替えて次の実践に臨む。切り替えた後の気持ちは過去の「うまいこといった」経験の気持ちに持っていきながら臨めばさらに良し。

行動を起こす,出来事に向かうときの気の持ちよう。これは非常に重要な要素ですね。

「聴くということ」について

「聴く」簡単なようで難しいのが,この「聴く」ということ。

私のところへ相談に来られる方の中には「相続について相談がある。財産を独り占めしようとしている者がいる」「あいつに自分の財産を渡さないようにするにはどうするか?」「離婚したいが,できるだけ慰謝料を取りたい」等といったものも珍しくありません。

法律職としては「法定の相続割合は…」「遺留分の配慮をして…」「一般的な額としては…」等と答えてしまいます。

しかし,最近,それだけでよいのかと思うことが多くあります。血相を変えて「○○を訴えてやる」などと,行政書士では受けられないような相談を持ちかけられた時のことです。

せっかく来られたので一応話を聞いてみることにしました。法的な係争であれば,私にはアドバイスできないことを事前に説明し,とにかく聴くことに徹してみました。聞いた後に適切な弁護士さんを紹介しようという気持ちでした。

「なるほど,そう思われたのですね」「そのことをつらく感じられたのですね」「そういうことをされれば,誰でも怒ると,そう思われるのですか」

事実関係を聞いているつもりでした,相談者は感情的な話をどんどん続けてこられます。そういった相談者の感情を逆なでしなように気持ちに添うようにしながら一生懸命話を伺いました。

「~~であれば訴えられるのか」

行政書士ではそういった争いには力添えになれないことを事前に話をしていても,感情的になればついそういった言葉が相談者から出てきます。ただ,そこで機械的に私にはそういった判断はできませんと言えば,こちらに怒りの矛先が向いてしまいかねません。

「~~があったので,訴えたいくらい怒り心頭ということですね」

そのように切り返してみました。その後もそういった発言にはそのように無難に切り返しながら話を聴いてみました。

すると,「訴えるとか言ったが,もうちょっと考えてみるわ。よう話を聞いてくださって,自分の気持ちもよくわかってくれたから少し気分が楽になった。何かあったらまたよろしく」

そう言って帰られました。

自分の何らかの主張があった時,それがかなえられない,また阻害された時,主張の核心である部分が怒り,悲しみなど様々な感情の衣を重ねて羽織っ
ていきます。

そして主張は大きな塊となり「訴えてやる」との感情の大砲となって発射されたようです。

相談を受けるものがその感情の動きを理解し,その感情の衣を一つ一つ取り除いていくことで,相談者は冷静に主張を見つめなおすことができたのでしょう。

ある意味偶然の産物と言えるかもしれないこのケースでしたが,今後,相談を受けるにあたり,「聴く」という重要性をしっかりと感じさせられたケースでした。

「遺言っていやなもの?」について

「遺言書を書いてみませんか?」その問いに対して,「まだいいよ」「うちは財産がないからいらない」「書かなくても大丈夫」等といった答えがよく帰ってきます。

それぞれの答えに対して,遺言書の専門家としては適切な答えをそれぞれ持ち合わせています。

「まだいいよ」と言う方には「災いはいつ襲ってくるかわかりませんよ。備えあれば憂いなしです」と言います。先日も奄美大島で大雨がありました。今は台風が迫ってきています。天災だけでなく,事故や事件などいつ何が起こるか分からない世の中です。備えは必要ですよね。

「うちは財産がないからいらない」と言う方には「財産の多少に関わらず,名義等の変更には様々な手続きが必要になります。遺言書を残すことでそういった相続人の煩雑な手続きを簡素にすることができるんですよ」と言います。また,財産(土地・建物のみ等)が分け合いにく,そのため争いになることもありますが,遺言書でそれを避けることができます。

「書かなくても大丈夫」と言う方は,相続人同士が仲良いのでそれぞれで話し合ってうまいことやってくれるだろうといった思いがあるものと思われます。しかし,仲が良かったはずの親族が相続をきっかけに不仲になってしまうケースもあります。自分がいなくなった後の財産のことまで自分で考えたくないと言う方もおられます。自分の考えるべきことを相続人に任せるのはいかがなものでしょうね。

上記のようにそれぞれにそう答えた場合,もっともだけど,やっぱりまだ書かないと言う方もおられます。つまり,遺言書の意義や効果は十分に理解できても,何らかの抵抗があるようです。

そこで,今回のコラムのテーマ「遺言っていやなもの?」となるわけです。面倒くさいと思われている方もおられるかもしれません。

ただ,私の感じる一番は「遺言書」の響きではないかと思うのです。「遺書」というものがありますね。自殺する時などに書かれます。「遺言書」は「遺書」と一字違いです。その言葉の響きに「死」「終わり」を連想させられます。

「遺言書」は人生の終局にある人が郷愁の思いをはせながら書くものといった感じでしょうか?

自分はまだ自分の人生において,その位置に立っていない。だから書く必要はない。その位置に立った時に考えればよい。そういう思いもあるのではないでしょうか?

確かにそういうイメージはあるのかもしれません。払拭するには名称から帰るのもいいかもしれません。「私の私有財産の分割等に関する通知」などと堅苦しくなんだか分からないような名称にしてしまうのもいいでしょう。また,「私からのプレゼントのお知らせ」などくだけた感じでやってしまうのもいいかもしれませんね。

ただ,書いていくうちに逆に名称等どう手もいいようになるようです。書かれる方のほとんどが「書いてすっきりした」「つっかえていたものが取れた感じ」など言われます。また,「○○と書いたが,あいつの態度を見て気が変わった△△にしてやろう」などと楽しみながら毎年書き直される方もおられるようです。

「遺言書はいやなもの」何となくそう思っておられる方は,とりあえず書いてみませんか?以外に食わず嫌いだった自分を発見するかもしれませんよ。

「成年後見でうばわれる?」について

成年後見制度は,判断能力が低下している人を不当・不法な契約から守り,また,適切な福祉サービスを選択し契約を代わって行う等,当事者を守っていく制度として非常に有効な制度です。

しかし,この制度にも問題が指摘されています。私自身もこれから述べる点は非常に問題視しています。

それは,後見制度を利用することで奪われることがあることです。何を奪われるかと言うと,それまで持っていた社会的地位や資格等です。

後見制度の中でも補助類型の場合は奪われることはありませんが,保佐,後見類型の場合は上のような地位,資格がなくなってしまいます。

どのような地位,資格時になる方もおられるかもしれませんが,今日,問題視したいのは後見類型の対象となり,被後見人となるとなくなってしまう選挙権の問題です。

選挙権は,国民が自分の生活を守るために,政治に関与する力を与えてくれている権利とも言えます。その権利がなくなってしまうわけです。同じ国民でありながら自分たちの生活がどうなっていくのか,傍観するしかないのです。

一方で,「どうせ選挙権があっても行けない」「自分で選挙する相手を選べないのだからあっても同じ」「逆にその人の選挙権を知人,他人が勝手に悪用するのではないか?」との意見もあるようです。

現実的には上のような意見も一理あるのかもしれません。しかし,権利と言うものは現実的だけでなく理念,思想的な部分もあるのではないでしょうか?

「どうせわからないのだからいらない」この言葉は現実的かもしれませんが,この言葉自体が権利侵害です。本人の持つ権利を,理解力や判断力などの外的要因だけで他人が判断していくのは基本的におかしいのではないでしょうか?

選挙に行くか,行くことができるのか,できるのか,できないのかなどは,自分で決めさせてほしい。そう思います。

「どうせ…」という現実的側面ではなく,問題は,行ける・行けないに関わらず,制度を利用する前は権利を持っていたという部分のです。後見制度を利用する前はこの権利を奪われていないのです。当然ですけど。

本人の権利を擁護するはずの後見制度を利用してみると,国民の基本的権利とも言える選挙権(参政権)が奪われる点が問題なのです。

この部分には,ちょっと小難しいことを言って恐縮ですが,日本の憲法が大事にしている国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という3つの柱のうちの2つ国民主権と基本的人権の尊重が侵害されているわけです。

人権の種類の中に参政権(選挙権)があります。そして主権とはこの国のことを決めると言うことです。国民は選挙を通じて国のあり方を決めていくのです。

選挙権はこのように非常に大事な権利なのです。一刻も早く,この選挙権を失うといった部分の法の改正が望まれます。


「成年後見の役割」について

 本来の後見業務は権利擁護(~がしたい:希望)が第1となります。
 
 その「~がしたい,またはしたくない:希望」を現実化するために,こうすればいいのでは?と情報等を提供するのが身上監護となります。

 その現実化のためになんぼかかる?というのが財産管理ということです。

 後見人が後見業務を進めていく道筋は,基本的にそういう順番なので権利擁護が一番大切なのです。

 しかし,今まで重要視されてきたのは「なんぼかかる?」といった財産管理。逆にそれだけきちんとこなせば,家庭裁判所では優秀な後見人とされていました。

 それでは発想が逆なのでは権利も十分に保障されないおそれがあります。

 しかし,現況では,少しずつ身上監護の大切さは理解されてきました。

 障害者福祉の現在の流れを見ていくと,やはり,重要とされることは本人の思いであります。本人の思いとは後見業務でいう身上監護の前にある「~がしたい:希望」です。

 身上監護を大切にするためにはその根底にある本人の願い,思いを大切にする必要があるという流れになるのは必然ではないでしょうか?

 そう考えると,身上監護だけではなくが権利擁護が大切であるという点までたどり着くまではそんなに時間はかからないかもしれません。


「出会い」について

生きている中で,人は多くの人と出会い,その出会いの中で,喜び,悲しみ,怒りなど様々な思いと出会います。

誕生した時に親と子の出会いがあり,子は親の支えの中で自分の世界を少しずつ広げ,新たな出会いに遭遇し,そして自分の世界を確立していきながら,親から独立していき,そして独立した子は,また新しい出会いの中で,愛を見つけ,そして親になります。

生きている中で無数にある出会い,しかし,一方で心に残る出会いというものは意外に少ないのかもしれません。心に残ると言ってもいい残り方だけではありません。あの野郎と思うような悪い残り方をするものもあるでしょう。

心に良い印象の残る出会いを多くできたこと。いい人間関係に恵まれること。これも幸せを測る一つの物差しなのかもしれません。

「相手の気持ちに立つ」とは

つい,お年寄りだから,障がい者だから,男のくせに,女のくせになどの何らかの枠にはめて考えてしまうことがありますよね?

血液型でも,やっぱりO型とかいうように,そういう景色はよく見られます。楽しい会話の中では盛り上げのエッセンス的要素になるその言葉も,社会的弱者と呼ばれる人に向けられる時,そういう気持ちはややもすると偏見の芽ともなってしまいます。

人と向き合う時,そういう気持ちをちょっと忘れ去って,自分の気持ちをフラットにして耳と心を傾けてみると意外な発見をするかもしれません。

お年寄りだから先が短い,また,障がいがあるから不幸と短絡的に結び付けてしまっていては,その先にある希望や夢を共感することはできないのかもしれません。

誰の心にもあるはずの希望や夢を,共感,そして発見しながらふれあうことで,本当の意味で「相手の立場に立つ」ということができるのかもしれません。

ノーマライゼーションという言葉があります。住む町の様々な障壁をとりながら,誰でも普通に生活できる環境作りといった意味なのでしょう。

その様々な障壁の中には人の心の中にある「高齢者・障がい者だから」といった気持ちの障壁もあるのかもしれません。

ただ,普通のノーマルな生活を障がいのある人が手に入れるためには様々な支援が必要です。そういった人や物の支援を受けながらのノーマルな生活というのは,ひょっとしてアブノーマルじゃないかという声もあるかもしれません。

しかし,そのアブノーマルがノーマルといえることがノーマライゼーションではないでしょうか。


QOLという言葉があります。クオリティー・オブ・ライフですね。すっかり定着している言葉で,「生活の質」といった意味らしいですね。このライフの中には生活といった単純な意味ではない3つの意味があるそうです。「人生の達成感」「生命の充実感」「生活の満足感」です。

生活の質の生活を,単純に考えていては本当に相手の立場に立つことにはなれないでしょう。生活を「生命」「生活」「人生」と包括的にとらえていきながらその中身をしっかりととらえることが必要でしょう。

「相手の立場に立って考えなさい」小さいころからよく言われた言葉ですが簡単ではないですよね。

「命」とは

たくさんの祝福に包まれて,多くの命は誕生します。ありきたりですが,そのかけがえのない大切な命の重さは計ることができない貴重なものです。

当然ですが,今,生きている人すべてにそのかけがえのない命は宿っています。魂が抜けたようになってという言葉がありますが,そんな魂が抜けたような人でも,やはり命は宿っています。お年寄りでも,障がいのある人でも,男でも,女でも,それは変わりません。

誕生の時にその命はたくさんの祝福の心に包まれて,そして,その時に,その新しい命の中で,同時に心が誕生するのではないかと考えたことがあります。

心ない人といいますが,実際に心がない人ではなく,冷たい人のことをそう言いますね。そこでは「心」=「温かいもの」という前提で言われています。

これまで出会って,そしてこれから出会う人すべてが,多くの祝福の中で誕生し,かけがえのないその命や温かい心を持っています。

そのことをお互いに感じられれば,自然と思いやりのあふれた世の中になるかもしれませんね。

そして,心は中で持っているだけでは伝わらずに,「きれいだね」「今日は元気そうだね」と言葉に姿を変えて相手に伝えられます。

心が温かいのなら,それを伝える言葉も温かいものであってほしいですよね。


「できない!」とは

障がいのある子どもに出会いました。その子は友だちが自分の名前を書いているのを見て自分も,自分の名前を書こうとしました。

しかし,どうしても手が思うように動かず,書くことができません。他にも友だちと同じように字を書こうとするのですが,友だちのように書くことができないのです。

その子の目には涙が浮かんでいました。

友だちは書けるのに自分は書けない,そういったことのショックやもどかしさがあったでしょう。何でできないのかといった葛藤の中でさらに名前が書けないといった「できない」という事実がその障がいのある子どものの小さな胸をギュッと締め付けます。

その経験の中で,自分の可能性に疑問を持ち,自分に対する希望の明かりに陰りがさしてきてしまいます。そして自信がなくなってきて,様々なマイナス思考要因が育まれていってしまうのです。

障がいのある人にとってできないことは教えてもらわなくても,ひっきりなしにつきつけられてきます。そういう中にあっては,逆にできないことを嘆くよりも,できることを発見して,そこから自信の芽を育むことの方が本当は大切なのでしょうがなかなかうまくいかないものです。

違う障がいのある子どもが,将来の夢の発表で「路面電車の運転手になりたい」と発表しました。その学校の先生からの相談で,「無理な夢を抱いているのでどうやってあきらめさせたらいいでしょう」と言われました。

誰でも小さな時に大きな夢,時には大きすぎる夢を持ってしまうものです。成長とともに現実が突き付けられ,現実との闘いの中で非行や問題行動を見せる子どももいるでしょう。しかし,そうやって人は成長していくもの。

どうして,障がいのある子どもはその夢を早く捨てるよう促さなければならないのか,その先生の意図が分かりませんでした。

一方で,以前,障がいのある青年が相談に来ました。まあ,がんばろうと励ますと「どうせできんから」そう言うのです。

「あなたには無理」と教えられ,できない可能性を植え付けられた結果,その心からはそんな言葉しか出てきませんでした。私はそこで自分にも言い聞かせている言葉を伝えました。

 鳥の仲間であるペンギンやダチョウが空を飛べないことばかり嘆いていたら,広大な海の世界でのびのびと泳ぐ姿や,力強く颯爽と走る姿は見られなかったかもしれないよ。自分にもできることは必ずあるはずだから,できないと嘆くばかりじゃなくて,できることを一緒に探して,見つけようと。

冒頭で紹介した子どもも,実は現在はもう高校を卒業しています。そして,電動車椅子と出会い,大きく自分の世界を広げることができました。そして,違う自分の可能性を発見して,自信を取り戻すことができたようです。


障がい者にとっての外出とは

私は以前,一人の進行性の全身障害がある重症の方と知り合いになったことがありました。彼は人工呼吸器をつけていますが,呼吸器をつけるようになってほとんど外出の機会に恵まれていませんでした。

その後,保護者や学校の担任の先生たちの支援,本人の努力を通じて,少しずつ外出できるようになったのです。

そして,その経験を重ね,彼はコンサートに行きたいと言えるようになるまでになりました。

久しぶりの外出,さらに大好きなアイドルのコンサートへ行くことは,彼にとっての大変感動的な出来事と思い,その様子をぜひ作詞できないかと投げかけました。

実は,私は年に1回気の合う仲間たちと一緒に障がいのある方に向けてのコンサートをしています。そのコンサートでは支援学校の音楽の教師の方が作る歌を歌っています。

彼に「うまい詞ができればその先生が曲をつけてくれて,私たちのコンサートで披露することができるかもしれない」伝えてみました。そして,彼も若干乗り気で作詞することになったたのです。


しばらくして,彼から詞ができたとのメールが届きました。

詞を見て驚いたのは,その中心となるコンサートの様子だけでなく,道中の様子が事細かに書かれてあったことです。

車の揺れ,窓の景色の流れ,変化,周りの音など,車に乗ったところから,降りるところまでの様子が,実に,詞の中の半分以上の割合を占めていたのです。


コンサートの詞なのだからコンサートのことをもっと中心に書いたらいいのにと思い,彼に再考を促そうと考えました。

しかし,よくその詞を読み返すと,彼のある思いに気がついたのです。


私たちにとっては何気ない外出という行為です。しかし,彼にとって何年振りかの外出,さらに初めてともいえる遠出という体験はすべてが新鮮で,彼の眼には周りの景色が大好きなアイドル同様,きらきらと輝いて映ったのではないでしょうか?

彼にとってはコンサート会場という目的地だけがドラマであったのではなく,道中もすべてがドラマだったということがわかりました。


重症の障がいがある人にとって1回の外出は非常に貴重な経験の場であるといえます。また,自分の体験では外出自体が奇跡の場であるといえる人にも出会ったことがあります。

そう考えると,移動や外出を支援する人はその貴重な瞬間,時間を共にできる幸せを感じられる一方でその貴重な時間を共にしているという重い責任を担っています。

その貴重な幸せな空間をいかに提供するか,私たち福祉に関わる人間にはその点も期待されていると思いました。